経済・政治・国際

2017年8月16日 (水)

英霊は死に切れない。 8月15日、終戦記念日。

英霊は死に切れない。

今日の8月15日は、大東亜戦争によるポツダム宣言を受け入れた、終戦記念日

靖国神社へは、開門前に行くことにしました。
それは、お昼ごろですとたくさんの人だからです。

がんばって、前日は寝ないで午前3時にシャワーを浴びる。
そして、カジュアルだけど一番いい服装に着替えて、
朝いちばんの電車で行きました。

電車の中では、眠くてしょうがない。
でも、靖国神社に着いて、『手水』で身を清めたら、
目が覚めて晴れ晴れとした、神聖な気分になりました。

Img_20170815_060548

その後は、神社前のドドールコーヒーへ行って朝食をとり、近くを散策です。
朝早くの散策は、こんなにも気持ちが良いとは、毎日でも続けたい。
*間違いなく無理ですね。

私にとって、靖国神社は先の大東亜戦争で亡くなった方を、
神としてお祀(まつ)りしている、大切なところなのです。

七十数年前、戦争に行くことは、死を意味していました。
実家には、その時の破れた『日の丸』があります。
そこには、たくさん寄せ書きがありました。
父、母、兄弟、親戚や近所などの人達の寄せ書きです。

戦争から帰ってきたのは、その破れた『日の丸』だけでした。

日の丸』を握り締めて、戦場へ向かうその人は、
どんな想いだったのだろうか。
どんな想いをして、死んで行ったのだろうか。

私には、分かる気がする。
自分だけが、生きる残ることではなかった。

『日の丸』に、寄せ書きを書いた人たちのことを、想っていたと思います。

自分の近くの人達を、想うこと。
それは、確かに日本の国を想ったのです。
そして、死んで行ったのです。


死ぬときは、どんなにか悔しかっただろう。
この国の行く末が分からぬまま、
死んで行くのは、どんなにか不安だっただろう。

英霊たちは、この国の明日を心配したのです。
それが、自らを捨て身の行動に駆り立てたのでしょう。
そうするしか、無かったのです。

家族の中で、自分さえ命を賭ければ、
家族が国が、安泰(あんたい)になるかもしれない。
と言う、わずかな希望だったと思います。


英霊たちの捨て身の行動が、
この国の国体を、少なからず保持させてくれたのです。
これには、感謝の他に言葉はありません。



しかし、
私は、こう感じている。

英霊は、死に切れない。



なぜなら、今はどうだ。
英霊たちが、望んだ社会の日本になっただろうか!。

もしかしたら、現在の日本は砂上(さじょう)の城かもしれない。
いつ、壊れてもおかしくないと思えないでしょうか。?

あの七十数年前の大東亜戦争は、確かに終わったのです。
「あの時は、戦争で大変だったね。」
「ご苦労様です。」
だけで、済(す)ますつもりでしょうか。?

そうじゃないでしょう。
次は、私たちの番なのです。

英霊が命を掛けた想いを、引き継ぎ新しい社会の日本を作ること。
それは、私たちに課せられた責務(せきむ)なのです。


『日の丸』を握り締め、命を掛けた英霊の想いは、
成し遂げられずにある。

それまでは、

英霊は、死に切れない。

この日、一日は英霊の想いに、馳(は)せたてみた。

2017年3月12日 (日)

菅直人、政治家としては最低の者だか国宝級に評価する。

250km圏内、人が住めないところになるところだった。

これは、事実だ。

この日、6年前の3月11日夜、
ラジオで東京電力福島第一原子力発電所に異常があると言うことを聞いた。
同時に、最悪のシナリオが想定された。

それは、東北地方が分断されるだけでなく某国が侵入してくることである。
クーデターであり戦争である。もし、日本に打撃を与えるためには絶好のチャンスだった。

しかし、時の総理大臣菅直人は、最悪のシナリオを回避するべく行動をとったと考える。
国の安全の為の自衛隊だけでは、手薄となるため予備自衛官の出動させ、原発事故から逃げようとした、東京電力の幹部連中を福島原発へ張り付かせ、国の総力を結集させた。

また、最悪のシナリオを回避させる為には人命よりも国の崩壊を防ぐことを優先させたこと。
そして、彼の発言は、こうだ。
「死んだっていいからやれ。逃げれると思うな。」
「俺だって、死んでも構わん。」
この時の総理大臣菅直人には賛否両論があるが、最悪のシナリオを回避できたのは、

左翼の革命運動家と呼べれる菅直人だからこそ、この程度に押さえ込めた思うし、仮に最悪のシナリオになった場合、この人だったら日本を窮地から救えたように思う。

もしかしたら、菅直人元総理大臣は、左翼の革命運動家と呼ばれると同時に、最強の愛国者だったかも知れないと、今になって思う。この件に関しては

国宝級に評価してもいいではないか!

日本を窮地から救った一人の人間として。

政治家としては、最低の人間だと思っているが。

この時ばかりは、国宝級に評価したい,日本を救おうとした一人の人間として。

2016年6月26日 (日)

管直人元総理大臣、本当は最強の愛国者だったかもしれない。

日本の危機を、技術者の管直人なら知っていた筈だ。

この時のことを、私は忘れない。これで、日本が終わるかも知れないと思っていたのです。北関東から福島をとおして人が住めないようになる可能性があったのです。民族大移動が必要だったかもしれなかったのです。この数は数百万人にも及んだと思っています。

このことを、あの人は知っていたのです。
物理学卒であり革命運動家と呼ばれている元総理大臣の管直人でした。この管直人元総理に対しては、国宝級に評価してもいいと思う。

迅速、かつ明確に自衛隊を稼働させ、東電の幹部に「死んでもやれ、逃げられると思うな。俺も死んだってかまわんから行く。」と言ったことを。
「戦後最大の日本の危機です。みなさん、一致団結し心を一つにしてこの危機を乗り切りましょう。」って言っていたことを。

そして、爆発する可能性がある原発を、空のヘリから視察したことを。壊れた原発を空から見るなんて常識では考えられない。日本の最高指揮官が命かげの行為をしていたのです。
指揮官が命を賭けた行為の評価は、賛否両論があるけれど。

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しかし、これだけは言えるのではないか。自分の命よりも守らなければならないものが有ったことを。それは、日本を守ることだった。

もし、最悪の事態が起きた場合には、国民を総動員してでも事に応(あた)っただろうと思う。その最悪とは、原発が最悪事態になりそして、次に起きることはクーデターであり戦争だったと思う。たぶん、管直人元総理もそれを想定していただろう。

もしかしたら、この管直人元総理大臣は、左翼の運動家と呼ばれると同時に、最強の愛国者だったかもしれないと、今になって思う。
さすが、物理学卒の革命運動家の管直人、これだけは国宝級に評価してもいではないか!

日本を窮地から救おうとした一人の人間として。

東電が隠していた福島原発事故直後の詳細記録が公表!菅直人元首相「死んだっていい、俺も行く」「社長、会長も覚悟を決めてやれ」|情報速報ドットコム:情報ドットコム

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  • ゼンマイ
    ある昼ドラみたいな平凡な映画が、「英雄として死にたい」のブログを作った。
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